世の中が乱れると、ファンタジーブームが起きると言われています。フランス革命勃発後、人びとはファンタジーに夢中になりましたし、関東大震災のあともファンタジーが読まれました。ボッカチオの『デカメロン』はペスト禍のときに書かれましたし、『千一夜』最古の写本が成立したとされる14世紀前後は、中東地域でペストが猛威をふるった時期でした。
「みんな今を生きているって、想像しよう」とジョン・レノンは言いました。いま一人ひとりが、これからどう生きよう、世の中はどうなるのだろうと不安にかられているかもしれません。ファンタジーは、その問いかけに即答するようなものではありません。その役割とは、もうひとつの世界を想像してみること、その可能性の中で日々を生きていくかけがえのなさを見つめることなのです。ファンタジーに思いを寄せることは、広い意味での想像力、創造力という人間に備わった能力の一部です。
人間は、10万年ほど前に言葉を獲得したとされています。おそらくは時を同じくして、さまざまな生存戦略の一部として「虚構の世界を創る」能力も獲得したのです。この能力は他者をあざむくためだけでなく、他者とつながるためでもあったでしょう。自分ではどうにもならない事象を前にしてそれを理解し超えていく、たとえ超えられなくても見知らぬものをそばに置き直して楽しむために想像の世界を広げていったのではないでしょうか。
ファンタジーという文学ジャンルが広く認められるようになったのは、比較的新しい時代のことです。しかしファンタジーそのものは、人類が言葉を獲得してからずっと人間の営みの一部でした。言葉で世界を発見していく文学行為としてのファンタジーについて、その創造の現場で考えてみたいと思います。